2009年6月12日 (金)

「豊橋」~その読み方~

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  2007年3月にスケッチし、記事にした入船公園脇の豊橋をもう一度確見に行った。元宮のカスケードビール工場が撤去されて以来、失われる可能性が高い史跡については早急に記録に残しておかねばならないと思うようになったためである。
 実は前回スケッチした際、この橋を「とよはし」と読むのか「ゆたかばし」と読むのかが不明であった。『つるみ・潮田歴史散歩』(瀬田秀人著)には、かつて鶴見川河口にあった豊橋と同名である旨が書かれている。これに拠るなら「ゆたかばし」と読むのが正しい。しかし愛知県の市名にもある通り一般的には「とよはし」と読む方が多いであろう。さらに昭和6年、横浜の筏会社14社が合併してつくられた「株式会社豊組(とよぐみ)」の存在が気になる。昭和初期まで貯木場であった入船公園の場所に木材を運び入れるため、朝夕と無くこの細い水路を行き来していた筏師達の会社名にちなんで名付けられた可能性は高い。そうだとすれば当然「とよはし」と読むのが正しいであろう。
 もしかしたら失われた片方の欄干には仮名の読み方が刻んであったかもしれない。小さな橋の読み方が横浜の木材史を語っていたかもしれなかった。しかし今となっては確認することは出来ない。せめて現存している欄干だけはしっかりと保存したいものだ。

(左:柱に付けられた「豊橋」のプレート 中:反対側の柱のプレート。「昭和参拾七年参月竣功」の文字。右:昭和33年の明細地図。現存する豊橋は昭和37年に架け変えられたものだと思われる。この時代にはすでに貯木場は埋め立てられ日本鋼管の製鉄所になっており、水路のみが残されていたようだ。)

2007年3月のスケッチはこちら→
http://tsurucoco.cocolog-nifty.com/1/2007/03/post_9e36.html

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2009年5月25日 (月)

新鶴見橋の袂

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 下末吉国道際のバス停で降り、第二京浜を川崎方面に歩いていくと新鶴見橋に出る。膨大な数の車両が行き交う鉄とコンクリートの橋の向こうには川崎のビル群が見える。下流の方に目を向けると、森永橋の優美な姿が、橋の袂から上流を眺めると、鶴見川漕艇場のボートが戻ってくるのが見えた。

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2009年5月 6日 (水)

岸谷1丁目の稲荷

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 岸谷にある「上の庚申」の脇の道を入り、幾度か路地を曲がると、小山の上に建つ小さな祠への入り口が民家の間に挟まれ存在している。草木を刈って作られただけの境内にはむろん人の気配はない。祠の外に中にも小さな狐の置物が並べられており、御神体には「杉山神社」の名が入ったお札が納められていた。
 ここは直線距離にして100メートルほど離れた杉山神社の裏手にあたる。もともとはこの付近全体が杉山神社の土地であったものを、宅地化によってこの祠だけ分断されてしまったのか、それとも杉山神社に詣でるためにはかなりの急階段を登らねばならないため、その労力を省こうと分社されたものかは不明である。

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2009年4月 6日 (月)

総持寺裏の桜

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 獅子ヶ谷通りにある「見返し坂」の入り口から斜面を登ると、総持寺の裏手の墓地に出る。墓地から太祖堂の側面に向かう道の途中に一本の桜の木が生えている。開花宣言が出てから2週目の土曜日、境内の桜はまだ蕾のものも多かったが、アスファルトを割って根を下ろしているこの木は、すでに満開を迎えていた。

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2009年3月30日 (月)

寺谷の街路樹

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 整然と区画された東寺尾北台の平坦な道を歩いていると、突然巨大な街路樹が植えられている折れ曲がった道に出た。この道が舗装される以前からそこに生えていたかと思える巨木は、街中には不似合いなほどの圧倒的な存在感を放っている。その道から分かれた細い階段道は森の中へと続いている。宅地化の波に抗うかのように自然の残る地域。標識や地図で確認しなくとも、ここからが寺谷であることがすぐに分かった。

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2009年3月10日 (火)

「源頼朝の御馬足洗池」伝承地

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 第二京浜の二反田信号からほど近くに「源頼朝が鷹狩りに来た際、馬の足を洗った」という言い伝えを持つ池が昭和初年まで存在した。東寺尾東台の旧道から第二京浜に下りる途中、左手の分かれ道を進むとその池があったという谷戸に入ることが出来る。
 谷戸は最深部まで約100メートル。第二京浜から見下ろされるような小さな谷戸に現在では池はなく、住宅が立ち並ぶ。行き止まりは駐車場となっていた。その一角に稲荷神社が祀られていた。
 来歴は不明であったが朱塗りの鳥居や祠、そして苔むした石段など、閑静な住宅地の中の小さな祠は小ぶりではあるが中々の風格を漂わせていた。

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2009年2月21日 (土)

弁天橋駅

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 弁天橋駅は短いプラットホームに屋根が載っているだけの簡素な造りである。しかし白木で組み上げられた柱と屋根に覆われた小さな空間からは不思議と力強さが感じられる。列車の到着時刻以外は静けさに包まれている。まるで社の中にでもいるようだ。
 駅のベンチに座り一人スケッチをしていると、鶴見駅行きの列車が到着した。それに合わせて数名の人々が駆け込んで来た。切符を買おうと焦る彼らに、列車の中から乗り出した車掌が「とにかく乗って下さい!(列車の)中で普通に買えますから!」と声をかけた。土曜の昼間、鶴見線は1時間に2本しか運行していないのだ。定刻だからといって乗客を置いて出発することはこの列車の流儀ではないのだろう。

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2009年1月13日 (火)

獅子ヶ谷交差点にて

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 正月前タクシーで帰省した際、獅子ヶ谷交差点にて運転手が次のように教えてくれた。「お客さん、正面の竹林にまだ青い一群があるでしょう。あそこは今年、竹の花が咲いたんですよ。竹の花が咲いて米が出来たんですよ。こうなると竹も寿命です。古い竹が倒れて新しい竹が生えてきたんですよ。だからあそこの一群だけまだ若い竹なんです。」
 その時ぼんやりと聞いていた話を思い出し、再び現地に行って確認してみた。しかし運転手から教えられた「青い一群」がもはや分からない。仕方なく近くの花屋で尋ねてみると、返ってきた答えは意外であった。「最近竹が生え変わったという話は、聞かないなぁ。竹というのはね、もともと一株から分かれたんですよ。だから枯れるとなったら日本全国で一斉に枯れてしまうんです。ここだけということは無い筈ですよ。」
 お店の人にお礼を言って獅子ヶ谷交差点を振り返った。寒空の下に広がる竹林に風が吹き付けていた。

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2008年12月 9日 (火)

豊岡町のバス停 ~不思議な標識~

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 豊岡町の名前を冠したバス停の標識は実に奇妙である。獅子ヶ谷通りにある「豊岡『一』丁目」と昭和坂に向かう通りに存在する「豊岡『2』丁目」は、その表記が統一されていないのだ。これは「豊岡一丁目」が臨港バス専用のバス停なのに対し、「豊岡2丁目・豊岡二丁目」は横浜市営バス・臨港バス共同のバス停であり、標識は「豊岡2丁目」と表記する市営バス側が設置したためであるようだ。
 実際にはどちらの表記が正しいのかと言えば、実はどちらも正しくない。豊岡町は住居表示地区であるが、住所は「豊岡町○番地○号」と番地から表記するため、豊岡○丁目と表記される地区はそもそも存在しないのだ。
 バス会社が便宜上作った架空の住所で表記されたバス停の標識は、しかし、さしたる違和感もなく豊岡町に存在している。

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2008年11月25日 (火)

東寺尾中台の階段

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 東寺尾中台の西通りから、その側の不動坂へと降りる白い階段は、私が鶴見で見た中でも指折りの急階段だ。
 階上に座って見下ろすと、まるで「底」を覗いているかのように感じられる。このまま落ちてしまうような不安を覚え顔を正面に上げると、道路沿いのマンションの3階近くの部屋が見えた。東寺尾の台地の高さを再認識させるような階段である。

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