2012年5月 9日 (水)

新緑の弁天池

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 数週間前には桜の花びらが舞い落ちていた弁天池の水面には、今は蓮が勢いよくその葉を広げ浮かんでいた。朱塗りの社や中に収められた小さな祠、そこに渡る紅い欄干の橋・・・そんな弁天池の風景は、住宅地となった寺谷にあってやや大仰なほどに四季折々の「雅」を楽しませてくれる。寺谷の大池のすべてを埋め立てず、一部をこのような姿で残したのは先人たちの郷土愛の賜物であろう。
 しかしながら残念なことに、近年この池は目に余るほど激しく老朽化している。コンクリートの台座に入った深い亀裂は、費用と労力をかけこの池を残すのか、それとも埋めてしまうのか、今の住民に決断を迫っているようだった。[スケッチ場所:寺谷1丁目17番地付近]

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2012年2月27日 (月)

北寺尾1丁目の階段

《2011年3月11日に発生しました東日本大震災にて被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます》

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 北寺尾1丁目付近は、周囲のバス通りに囲まれて盆地のように窪んでいる。この道はその低地と北寺尾2丁目への高台とを結ぶ階段だ。150段近い石段の上に立つと、斜面という斜面を埋め尽くす住宅の屋根屋根が午後の日ざしを受けてモザイクのような影を作り出す光景が見渡せた。[スケッチ場所:北寺尾1丁目20番地付近]

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2011年2月20日 (日)

【切り絵】生麦南町・福寿稲荷

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Img_3817_4    旧東海道沿いにある「浜商会」というビルの脇から、貝殻海岸へ抜ける路地を入った。かつての漁師町の名残が色濃く残るこの辺りの住宅は、海風を遮るために家々が近接して建てられており、塀や柵がほとんどない。壁と壁との間を明細地図を頼りに進んで行くと、幾度か迷いながらようやく目指していた「福寿稲荷」を見つけることが出来た。
 赤い柵と2重の鳥居に囲われた境内の奥にある祠は思いのほか大きな作りである。中には2体の狐の石像と賽銭箱が置かれており、油揚げとお神酒が供えられていた。密集した空間の中で周囲の人々によって大切に守られている社は、住民だけでなく迷い人をも受け入れてくれる中庭のような存在であった。
[スケッチ場所:生麦5丁目21番地付近]
(写真:祠の前にも2体の狐像がある。その下に彫られている「南町 江ヶ講中」の文字。どのような「講」であるのかは不明。)

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2011年1月26日 (水)

馬場神明社

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 馬場6丁目の高台に神明社がある。『新編武蔵風土記』には「一丁余大門に松樹並立り石の鳥居あり」とある。現在では住宅街となっているが、100M余りの参道はかつて松並木であったようだ。享和年間(1802年)の石の鳥居は健在である。そこをくぐると、広い境内に社殿と社務所、稲荷の祠が建っている。馬場と言えば馬場稲荷が有名だが、この神明社もなかなかの規模だ。建立した当時の村人達の信仰の篤さと結束の固さを今に伝えている。[スケッチ場所:馬場6丁目15番付近]

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2011年1月 6日 (木)

市場下町の庚申塚

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 鶴見川橋を渡って市場下町に入り、旧東海道を150M程進んだところに庚申塚がある。宝暦年間(1754年)に作られた青面金剛の石像が、昭和の終わりに修復されたという見事な構えの御堂の中に納められている。駐車場を隔てた鶴見寄りの土地には下町稲荷がある。平成に建立された朱塗りの鳥居の奥に祠があり、中には小さな狐の像が安置されている。結ばれた注連縄やそれにかかる紙垂も真新しい。宅地化の進む中、庚申や稲荷などの小さな史跡は近くの神社や寺の境内に移転させられてしまうことが多い。しかしこの2つは旧東海道に面する一等地にあって、市場の人々の手によりしっかりと存在し続けている。[スケッチ場所:市場下町3番付近]

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2010年12月15日 (水)

【番外編】緑区ぶらり絵日記:ブタ公園

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  東本郷第一公園が「ブタ公園」の愛称で呼ばれるのは、公園内にブタの彫刻があるためだ。今から40年近く以前、剥き出しの土に雑草がはびこる空き地同然の公園に、ブタの彫刻は既に存在していた。確か当時は4頭だったと思うが、記憶は定かではない。子供だった私はそのブタの背に乗ったり、ブタからブタに飛び移ったりする単純な遊びで楽しんだものだ。
 公園が整備されるとともに、ブタの設置場所も変更された。南西の隅の斜面は階段と小さな広場に変わった。斜面をすべり降りたりよじ登ったりするのが好きな子供達には遊びにくい場所となった。人気の少ないこの場所にいつしか用具入れが置かれた。そしてブタもここに移設された。その時は3頭になっていた。
  現在の公園の形に再度整備されたのはいつ頃であろうか。真四角のグラウンドとそれを囲む桜、花壇、そろえられた遊具、煉瓦で丸く縁取られた砂場とその上を覆う藤棚。かつての野原のような公園を知っている私から見ると隔世の感がある。そしてブタは、南西側の広場から公園の中央に位置する砂場の周りに移されきれいに並べられていた。愛嬌のある丸い姿は40年前と少しも変わらない。「今でもブタに乗って遊んでいる子はいるわよ。」実家の母は言う。「でも、この辺りはもう子供自体が少なくなっちゃったけどね。」確かに昼間自分の子供を連れて行っても、他の子供をあまり見かけない。逆に自分の親世代の人々が整地されたグラウンドでゲートボールを楽しむ姿の方をよく目にするのだ。
[スケッチ場所:緑区東本郷2丁目16番 公園内より入口を望む][写真:現在のブタ]

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2010年11月20日 (土)

末吉橋からの眺め

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 鶴見駅西口から市営バスで末吉方面に向かうと、15分から20分ほどで末吉停留所に着く。そこから末吉橋までは歩いてすぐだ。随分上流まで遡ったと思ったが、期待していたような草生い茂る川淵の風景は見られなかった。コンクリートで固められ、人工的に管理された川岸があるだけだ。少々味気ない気もしたが、広い川幅は送水管橋の見える川下の眺めに解放感を与えてくれていた。橋の袂にだけ芝の植わった小さな土手が作られ、そこに木が2本生えていた。[スケッチ場所:上末吉5丁目11番付近]

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2010年10月29日 (金)

御社母子(オシャモジ)稲荷神社

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 生麦小学校の南門近くに御社母子(オシャモジ)稲荷神社がある。
  柳田國男の説によれば、東京都練馬区の石神井(シャクジイ)公園を始めとする「シャグジ」「サグジ」「サゴジ」という名の祠や地名は、元は「境」を意味する「サク」を語源としているという。外敵や疫病の侵入を防ぐために、境界を守護する神を祀った民間信仰の名残であるというのだ。「オシャモジ」というのはその「シャグジ」を「杓子(シャクシ)」と唱し、そこから更に「シャモジ」と転化したものではないかと推論されている。
 生麦のオシャモジ様は咳を治癒する神として『新編武蔵風土記』などにも記載されている古い神社だ。鳥居や石の階段もなかなか立派な構えであるが、この神社は鶴見区の区民生活マップにもゼンリンの住宅地図の中にも鳥居の印で記載されていない。生麦小学校の一区画として扱われているようである。[スケッチ場所:生麦3丁目13番付近]

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2010年9月20日 (月)

バス通り沿いの木柵

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 鶴見線のトラス橋の下から市営バス41系統「東福寺前」の停留所先の民家まで約300Mにわたり、枕木で作られた柵がある。東海道線や京浜東北線などの線路とバス通りとを隔てるための木柵であるが、すぐ内側に鉄製の高いフェンスが設置されているので、実質的には無用のものだ。新子安方面へ向かう電車の中からこの木柵を目で追うと、終わったと思われた木柵が線路沿いの住宅の隙間からまたちらほらと姿を現す。おそらくかつては鶴見と新子安の間に延々と並べられていたものが、フェンスの設置とともに無用となり、線路際の土地に住宅が建てられるとともに少しずつ撤去されてしまったのだろう。線路がバス通りと直に接しているこの区間だけ、撤去される必要もなく残されているのだ。しかし苔むし黒く変色したその無用の木柵は、殺風景ともいえるバス通り沿いにあって独特の存在感を放っている。[スケッチ場所:鶴見1丁目9番付近]

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2010年1月29日 (金)

獅子ヶ谷通り脇の階段

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 鶴見駅西口の交差点から獅子ヶ谷通りを50m程進んだ場所に、平地との高低差2m強をつなぐ小さな階段がある。降りてみると、日の当たらない石の壁に生い茂るシダが目に入る。さらに進むと細い路地から西口のバスターミナル前に出ることが出来る。この同じ地上であるはずなのに、獅子ヶ谷通りの地下に潜り込んだかのような錯覚を覚える一区画だ。[スケッチ場所:豊岡町7番付近]

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