2009年8月11日 (火)

北寺尾のじゃがいも畑

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 北寺尾のアタラシヤストアー前の交差点から坂道を登ったところに、思いがけず広々とした農耕地を見つけることが出来た。この土地の持ち主らしき方がその友人に「じゃがいもを植えてるのよ」と説明している。住宅地の間に存在する整然と手入れされたじゃがいも畑、その向こうには上の宮のゴルフ場、そして新横浜のホテルのタワー。北寺尾という街を一言で物語るかのような、印象的な風景であった。[スケッチ場所:北寺尾7丁目3番地付近]

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2009年7月12日 (日)

豊岡根の道

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 「根」というのは山の麓を指す地名である。鶴見では岸谷の台地の裾野を回る「岸谷根の道」が知られているが、豊岡町にも高台の裾野を回る道が存在する。豊岡通りが作られる以前はこの道こそが岸谷根の道と繋がり、鶴見駅西口の往来を支えていたようだ。現在では残念ながらスポーツセンターの裏手に向かう坂で途切れてしまうが、豊岡通りの裏道として子供連れや自転車の往来が頻繁である。「豊岡根の道」と呼ぶにふさわしい道である。[スケッチ場所:豊岡町13番付近]

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2009年7月 4日 (土)

『鶴見川の橋』

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 鶴見川の源流から河口まで120基の橋を撮影した写真集である。人道橋に限らず、鉄道、ガス、電気、水を通すためのすべて橋が含まれる。
 始まりはわずか2メートルの「石橋」から、最終的に220メートルの長さを誇る「鶴見大橋」へと徐々にその長さを増していく様は、そのまま鶴見川の成長を物語っているかのようだ。一つ一つの特徴をとらえた構図と、名称、竣功年、橋長、所在地を記した簡潔なメモが橋の個性を雄弁に物語る。特に橋の「名称」と「長さ」を見ると、その橋を利用する地域住民の生活や歴史にまで思いを馳せることが出来る。橋を通して鶴見川を味わえる面白い写真集だ。
 発行は平成4年。平成8年に架け替えられたアーチ型の鶴見川橋などは掲載されていない。是非第2版を発行して欲しい。

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2009年6月12日 (金)

「豊橋」~その読み方~

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  2007年3月にスケッチし、記事にした入船公園脇の豊橋をもう一度確見に行った。元宮のカスケードビール工場が撤去されて以来、失われる可能性が高い史跡については早急に記録に残しておかねばならないと思うようになったためである。
 実は前回スケッチした際、この橋を「とよはし」と読むのか「ゆたかばし」と読むのかが不明であった。『つるみ・潮田歴史散歩』(瀬田秀人著)には、かつて鶴見川河口にあった豊橋と同名である旨が書かれている。これに拠るなら「ゆたかばし」と読むのが正しい。しかし愛知県の市名にもある通り一般的には「とよはし」と読む方が多いであろう。さらに昭和6年、横浜の筏会社14社が合併してつくられた「株式会社豊組(とよぐみ)」の存在が気になる。昭和初期まで貯木場であった入船公園の場所に木材を運び入れるため、朝夕と無くこの細い水路を行き来していた筏師達の会社名にちなんで名付けられた可能性は高い。そうだとすれば当然「とよはし」と読むのが正しいであろう。
 もしかしたら失われた片方の欄干には仮名の読み方が刻んであったかもしれない。小さな橋の読み方が横浜の木材史を語っていたかもしれなかった。しかし今となっては確認することは出来ない。せめて現存している欄干だけはしっかりと保存したいものだ。

(左:柱に付けられた「豊橋」のプレート 中:反対側の柱のプレート。「昭和参拾七年参月竣功」の文字。右:昭和33年の明細地図。現存する豊橋は昭和37年に架け変えられたものだと思われる。この時代にはすでに貯木場は埋め立てられ日本鋼管の製鉄所になっており、水路のみが残されていたようだ。)

2007年3月のスケッチはこちら→
http://tsurucoco.cocolog-nifty.com/1/2007/03/post_9e36.html

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2009年5月25日 (月)

新鶴見橋の袂

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 下末吉国道際のバス停で降り、第二京浜を川崎方面に歩いていくと新鶴見橋に出る。膨大な数の車両が行き交う鉄とコンクリートの橋の向こうには川崎のビル群が見える。下流の方に目を向けると、森永橋の優美な姿が、橋の袂から上流を眺めると、鶴見川漕艇場のボートが戻ってくるのが見えた。

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2009年5月 6日 (水)

岸谷1丁目の稲荷

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 岸谷にある「上の庚申」の脇の道を入り、幾度か路地を曲がると、小山の上に建つ小さな祠への入り口が民家の間に挟まれ存在している。草木を刈って作られただけの境内にはむろん人の気配はない。祠の外に中にも小さな狐の置物が並べられており、御神体には「杉山神社」の名が入ったお札が納められていた。
 ここは直線距離にして100メートルほど離れた杉山神社の裏手にあたる。もともとはこの付近全体が杉山神社の土地であったものを、宅地化によってこの祠だけ分断されてしまったのか、それとも杉山神社に詣でるためにはかなりの急階段を登らねばならないため、その労力を省こうと分社されたものかは不明である。

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2009年4月 6日 (月)

総持寺裏の桜

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 獅子ヶ谷通りにある「見返し坂」の入り口から斜面を登ると、総持寺の裏手の墓地に出る。墓地から太祖堂の側面に向かう道の途中に一本の桜の木が生えている。開花宣言が出てから2週目の土曜日、境内の桜はまだ蕾のものも多かったが、アスファルトを割って根を下ろしているこの木は、すでに満開を迎えていた。

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2009年3月30日 (月)

寺谷の街路樹

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 整然と区画された東寺尾北台の平坦な道を歩いていると、突然巨大な街路樹が植えられている折れ曲がった道に出た。この道が舗装される以前からそこに生えていたかと思える巨木は、街中には不似合いなほどの圧倒的な存在感を放っている。その道から分かれた細い階段道は森の中へと続いている。宅地化の波に抗うかのように自然の残る地域。標識や地図で確認しなくとも、ここからが寺谷であることがすぐに分かった。

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2009年3月10日 (火)

「源頼朝の御馬足洗池」伝承地

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 第二京浜の二反田信号からほど近くに「源頼朝が鷹狩りに来た際、馬の足を洗った」という言い伝えを持つ池が昭和初年まで存在した。東寺尾東台の旧道から第二京浜に下りる途中、左手の分かれ道を進むとその池があったという谷戸に入ることが出来る。
 谷戸は最深部まで約100メートル。第二京浜から見下ろされるような小さな谷戸に現在では池はなく、住宅が立ち並ぶ。行き止まりは駐車場となっていた。その一角に稲荷神社が祀られていた。
 来歴は不明であったが朱塗りの鳥居や祠、そして苔むした石段など、閑静な住宅地の中の小さな祠は小ぶりではあるが中々の風格を漂わせていた。

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2009年2月21日 (土)

弁天橋駅

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 弁天橋駅は短いプラットホームに屋根が載っているだけの簡素な造りである。しかし白木で組み上げられた柱と屋根に覆われた小さな空間からは不思議と力強さが感じられる。列車の到着時刻以外は静けさに包まれている。まるで社の中にでもいるようだ。
 駅のベンチに座り一人スケッチをしていると、鶴見駅行きの列車が到着した。それに合わせて数名の人々が駆け込んで来た。切符を買おうと焦る彼らに、列車の中から乗り出した車掌が「とにかく乗って下さい!(列車の)中で普通に買えますから!」と声をかけた。土曜の昼間、鶴見線は1時間に2本しか運行していないのだ。定刻だからといって乗客を置いて出発することはこの列車の流儀ではないのだろう。

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