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2006年4月21日 (金)

柳町の由来

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 鶴見駅から38系統もしくは41系統の市バスに乗ると、3つめの停留所が「柳町」である。しかし現在「柳町」という町は存在しない。昭和42年の住居表示施行の際、この名は失われてしまった。
 昭和5年の古地図「鶴見区全図」を見ると、現在の岸谷と生麦、鶴見の一部が合わさった区域全体が「生麦町」となっており、その「生麦町」の中にさらに5つの字(あざ)が存在していた。「明神前」「柳町」「貝助」「八幡前」「岸谷」である。この内「柳町」を抜かした4つの字については、その名前の由来をつきとめることが出来た。「明神前」は以前にも記載したが、杉山神社が「杉山大明神」と言われていたことからついた名だ。「岸谷」は、現在もその名の残るとおり新子安方面に向かって左手の、文字通り高台の地形を表している。「八幡前」は、現存している鶴見1丁目10番地の八幡宮からついた名である。「貝助」は「けいのすけ」と読み、生麦村の名主、関口八郎右衛門氏の祖先の一族に貝之助という人物いたという史実による。
 しかし「柳町」だけ、幾度となく鶴見図書館で調べても、その名の由来を見つけることができない。まるで地域の長い歴史とは関わり無く、当時突然付けられたような印象である。もともと「鶴見区」の前身である「生見尾村」(うみおむら)(明治22年設立)当時は、この生麦地区は「北」「南」「本宮」「原」「岸」の5つの区画にわかれていたようだ。しかし、明らかに場所の違う高台の「岸」以外、海側の由緒ある区画の名前が一つも残っていない。どれか一つの名前を残すとわだかまりが生じるため、とりあえず樹木の名前をとって「柳町」という名前が生み出されたかのようにも思える。もちろんこれは私の勝手な推測である。
 現在はその「柳町」の名が、バス停の標識に残されている。
(写真上:昭和5年製の鶴見区全図の複写の一部 写真下:岸谷4丁目の標識。実際の「柳町」は現在の生麦3丁目と岸谷1丁目・4丁目の一部をさしていた。)

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