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2006年5月29日 (月)

三ツ池公園 上の池

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 三ッ池公園は、もともと江戸時代に灌漑用水として利用された池を囲んだ30ヘクタール近い県立の公園である。以前訪れた二つ池と距離は近いが、金網で囲われているだけの二つ池とは違い、どの池もきちんと整備されている。特に今回描いた「上の池」は、「上の池」「中の池」「下の池」の三つの池の中でも最も人工的な手が入れられている池だ。しかし皮肉にも手前に敷きつめた大きな石が池に近づく階段の役目を果たしてしまい、「池に入るな」「釣りをするな」の看板を最も多くの人が無視している池となってしまっている。家族連れが小さな網や釣竿を持ってザリガニを獲っているのだ。
 絵を描いていると、中年の男性に話かけられた。「一枚どのくらい時間かかるんですか」「2~3時間ぐらいですね」と返事をすると、「以前、NHKで山下清の人生を放映してたでしょう。もともと厄介者扱いされていたのに、すばらしい絵を描くようになったらみんなから急に拝まれてさ、あれは痛快、痛快だったなぁ」と話をして去っていった。
 その後、私がスケッチを描きあげてもなお、男性はその場に遊びに来た子供や家族連れに話しかけていた。

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2006年5月24日 (水)

鶴見川鉄道橋梁

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 鶴見駅と川崎駅の間の鉄道橋梁である。鶴見川橋の近くに貨物線と東海道線、京浜東北線、横須賀線のそれぞれ上下線合わせて5本の橋が狭い間隔で渡されている。鶴見川の橋にはそれぞれ由緒ある名前がついているが、この鉄道橋梁群にはそれらしい名前がないようだ。
 今日は家を出たのが遅く、夕方6時ごろのスケッチとなってしまった。太陽が沈むまでの間の限られた時間、急かされるように形をとったが、日が沈む鶴見川の川面は日中よりむしろ印象深く思えた。

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2006年5月18日 (木)

鶴見配水塔

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 飲料水を高台の地域に送るために昭和12年馬場町に建設された配水塔である。すでに現役は引退しているが、高さ26メートルのこの円筒形の建物は「ねぎ坊主」と呼ばれ、今でも地域のシンボル的な存在となっているようだ。目の前のバス通りは埋設した水道設備の上に盛土をしてつくられた「水道道(すいどうみち)」である。
   スケッチをしていると、細い坂道を上って水道道に出てきた年配の女性に突然つぶやかれた。「ホネですねぇ・・・」杖をつき、息を切らしている。「この辺の坂は急ですよね」私も言葉を返した。   

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2006年5月13日 (土)

生麦北町

Scan10002_4  生麦北町から鶴見川の対岸を臨んだ風景である。釣り船が繋留する河口近くの川岸には強い潮の香りが漂ってくる。向こう岸に見えるのは下野谷町のマンション、さらにその向こうに京浜工業地帯の工場群が見える。遠浅の浜辺を埋め立て工業化を進めた結果、かつて生麦の経済を支えていた漁業は消滅してしまった。この釣り船は週末の釣り客用のものだ。

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2006年5月 5日 (金)

龍泉寺脇の階段

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 鶴見には坂道が多い。それはこの地域に鶴見川や生麦浦などの低地と、太古の火山灰によって形成された下末吉台地とが接近して存在しているためだ。その起伏にとんだ土地を、それぞれの時代に生きた住民達が長い年月をかけて踏みしめ作り上げた坂道は、コンクリートやアスファルトに覆われてしまってもなお独特の味わいがある。
 岸谷の龍泉寺脇にある階段もそのような坂道の一つだ。二人で並んで歩くのが精一杯の細い階段は、数えてみると118段あった。1段が平均15cm前後だとしても、20m近く上がり下がりすることになる。お年寄りには辛い所だ。階段の端に設置されているステンレス製の手摺は、きれいに磨かれていた。つかまる人も多いのだろう。

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2006年5月 4日 (木)

岸谷庚申(きしやこうしん)

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 庚申信仰は江戸時代に流行した民間信仰である。宝暦10年(1760年)に作られたという岸谷庚申は今でも龍泉寺の傍にある。石には青面金剛像と、踏みしめられる悪鬼、その下に見ざる言わざる聞かざるの三猿が彫られている。台石には「これより江戸の方 こいけさんひた(り)」(子生山(東福寺のこと)左)の文字がうっすらと読め、この庚申塔が道標も兼ねていたことをはっきりと示している。社もどっしりとした作りで、現在これほどの物を制作したらかなりの労力と費用がかかるであろうことが想像できる。かつての民間信仰の底力を見る思いだ。
 しかし平成の現在、この社にはほとんど手入れがされていない。放置されているとまでは言い切れないが、建立当時の篤い信仰心は大分以前に失われてしまったのだろう。(写真:庚申塔台石「これ・・・」と「こいけさん」の文字が縦書きに読める)

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2006年5月 1日 (月)

二つ池

Photo_3  二つ池はもともと一つの池だったが、池の真ん中に竜が落ちてその死体が土手となり二つに分かれた、というのが地元の伝説である。しかし実際は宝永4年(1707年)駒岡村と獅子ヶ谷村の水争いの結果築かれたのである。現在でも池の真ん中の小さな土手が駒岡と獅子ヶ谷の境界である。実際の事情とは全く異なる伝説が何故生み出されたのかは興味深いところだ。
 現地には道路際に「立ち入り禁止」の札のかかった金網が設置されているが、驚くほど多くの人が柵の中に入り釣りを楽しんでいる。実は池をぐるっと半周回ると土手の反対側に行けるのだが、民家がせまっているせいかこちら側には柵がない。ここから300年前に築かれた「竜の死体」の上を歩いていけば、自然と金網の中に入れてしまうという状態である。すでに用水池としての役割を終えた今でも、この池は地域の住人の場所であるようだ。もっともこの土手の状態は実際危険なので、侵入はお勧め出来ないが・・・。(絵は獅子ヶ谷側の池)

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