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2006年7月31日 (月)

助郷(すけごう)

Photo_19  江戸時代の「街道」といえば連想するのは「宿場町」であろう。この宿場町を支えていたのが「助郷(すけごう)」であるでことはあまり知られていない。宿場町は宿泊業務だけでなく継ぎ立て業務(次の宿場町までの荷物の輸送)も行っていた。助郷とは、この荷運びを街道沿いの農村へも賦役として課した制度である。鶴見区の村々は鶴見川を境として東側が川崎宿、西側は神奈川宿の助郷村として指定された。
 江戸幕府によって、街道制度が整備された当初は交通量もさほど多くはなく、宿場の継ぎ立業務も機能していた。しかし政治体制の確立とともに社会・経済が発展すると、交通量が増加し宿場では輸送が賄いきれなくなった。そのために近隣の村々から人馬を強制的に徴集したのである。現代の貨物輸送をこの時代は人力で行っていたのであるから、負担は膨大であった。通常の年貢の他に年間を通じて人馬を徴集するこの助郷制度は、時代が下るにつれ村々を疲弊させ、各地で離散や一揆を多発させる原因ともなった。ことに幕末には東海道はもとより各街道で交通量が激増し、助郷制度は破綻寸前となった。変動する社会と活性化する商品経済は、宿場間のリレー方式の継ぎ立て輸送と賦役による労働力では既に対応できなくなっていたのである。 明治5年新政府によって助郷制度が廃止されると、その後は民間による陸運会社が設立され、新たな時代の交通システムが確立していった。
 生麦村名主の『関口日記』にも、助郷の要請に対する苦労がたびたび記録されている。幕府の中央集権体制の基礎であった街道制度は、農民達の不条理とも言える負担の上に成り立っていたのだ。(写真は川崎宿の助郷会所跡)

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コメント

へ~、知らなかったよ。分かりやすくて勉強になりました。

投稿: moromina | 2006年9月 4日 (月) 23時45分

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