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2006年12月23日 (土)

『関東地名物語』(「谷」地名の研究)

Photo_69 「なぜ東京周辺の地名は「谷」を「タニ」や「コク」と読まず、「渋谷」や「市ヶ谷」のように「ヤ」と読むのだろう?」この素朴な疑問から「谷」地名に喰らいついて書かれた本である。
 「ヤ」「ヤト」「ヤツ」は もともと「ヤチ」も含め、すべて「草の生えた低湿地帯」を意味する同系列の言葉であったが、稲作が広まると、丘陵から水が染み出ている山合いの狭い平地を水田として開墾するようになり、この土地を「ヤ」「ヤト」もしくは「ヤツ」と呼んで、「ヤチ」とは区別するようになった。次第に水気のないところでも、山に入り込んだ狭い土地や集落を指す一般的な名称として定着した。その形状が「谷」と似ていたことからこの漢字を当てるようになったのではないかと書かれている。「ヤ」は関東地方全般で見られるが、「ヤト」は主に神奈川県が中心で「谷戸」と表記されるときもある。「ヤツ」は房総半島中部および神奈川県の鎌倉周辺にみられ、「谷津」と表記されることもある。群馬県においては「谷戸」と表記するものの、これを「カイト」と読むことが多い。語源については、柳田国男のアイヌ語説を否定し、「yat」(ヤッ)と発音する祖語が東言葉(あずまことば)にあったのではないかと推察しているが、何故地域によって使い分けられるようになったのかははっきりとは分からない。
 本の帯には「古代関東の地名が見えてきた」と仰々しく書かれているが、物語と呼べるものは一切無い。谷地名についての調査を羅列したメモ書きような本である。大変読みづらくはある。しかし一つの地名に徹底的にこだわる研究家の底力を感じさせる本であった。(山田秀三著『関東地名物語』)

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2006年12月14日 (木)

【番外編】伊豆下田ぶらり絵日記:寝姿山(ねすがたやま)

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 翌日は雨が止んだ。下田駅前の寝姿山(ねすがたやま)にロープウェイで上る。遠くから見ると山の端の形が女性の横たわっている姿のように見えることから、この名があるという。山頂からはかつて黒船が投錨した下田湾が一望できる。天気のよい日は水平線上に伊豆七島が見えるということだが、スケッチしている最中には確認できなかった。
 午前中に出発する列車に乗るため、1時間もしないうちに切り上げ早々に山を下った。海産物のお土産だけはなんとか購入できたが、寝姿山を十分に散策できなかったのが残念である。景色のよいこの土地にもう一度訪れてみたいと思う。

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【番外編】伊豆下田ぶらり絵日記:下田海中水族館

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 伊豆下田は黒船来航にて知られる港町である。横浜より踊り子号に乗車すると、熱海から伊豆半島の先端までの道のりが大変に長いことが分かる。ミカンの木が茂る海辺の風景が続いていく。
 下田に到着したがあいにくの雨天となったため、本日のスケッチは取り止めとし、かわりに海中水族館に出かけることにした。自然の入り江の中に作られた水族館である。しっとりと雨に濡れる岩山を背景に見たイルカのショーは、一時寒さを忘れさせてくれるほど面白かった。だがこの水族館で最も印象に残ったのは、帆立貝を食べるラッコの姿である。自然界のラッコは腹の上に乗せた貝殻を石で割って食べるのだが、この水族館ではラッコに石を持たせていない。帆立貝を与えられると水槽のガラスで貝殻を叩き割る。ガラスの方にヒビが入るのではないかと思えるほどの大きな音を立てる。衝撃で貝を落とすこともない。あの前脚の握力はどのくらいなのだろうか。

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2006年12月 8日 (金)

鶴見川水難者慰霊供養塔

Photo_64  鶴見川橋近くの川べりに水難者の慰霊塔が建てられている。樹木に覆われた石碑は人目につきにくく、不気味な雰囲気さえ醸し出している。
 「鶴見歴史の会」発行の機関紙「郷土つるみ」に、この塔の建立の経緯があった。もともと鶴見川は葦(よし)が多く生えており、水難者の遺体がその繁みに入り込むと発見された際にはすでに白骨化していることが多かった。その身元不明の死体を「お骨さま」として葬っていたが、この無縁墓に詣でると眼病が治るという話が伝わり、一時は参詣者が溢れるような状態になった。しかしやがて信仰は下火となり、関東大震災や堤防工事などで「お骨さま」の墓は川底に沈んでしまった。昭和55年に地元の方がこの墓を供養塔として復活させ盛大な供養が行われたというのだ。
 塔の裏面にはこの塔を建てた地元の方の名と「建設省」の鶴見出張所長の名前が彫られていた。昭和54年、建設省によりすぐ上流の個所でのショートカット(川の蛇行を直す)工事、および排水ポンプ場の設置が行われている。この供養塔を復活させたのは、大工事の竣工記念の意味が込められているのであろう。

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2006年12月 1日 (金)

別所熊野神社

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 北寺尾の高台にある熊野神社は、この地域の字名を冠して「別所熊野神社」と呼ばれている。参道となる石段は狭く急であるが、高台まで上りきると境内は解放的で、犬を連れた人が頻繁に通り抜けていく。社殿脇に神社の由緒の彫られた石碑が建っている。この神社が子供の百日咳に霊験があること、『新編武蔵風土記稿』に記述されていること、境内の御水舎に「慶応二年」の銘があること、戦災で社が焼失した際は社地中腹に横穴を堀り御祭神を奉安したこと、昭和50年に社殿が本格的に再建されたことなどがびっしりと書かれている。その内容もさることながら、どっしりとした石碑とその後ろに立つ比較的新しい社殿を見ると、時代を継いでこの神社を支えてきた氏子達の存在を感じることが出来た。

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