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2007年2月25日 (日)

緑橋

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Photo_96  鶴見区の明細地図を眺めていると、旭運河に架けられた「緑橋」という橋が目に入った。工場地帯に「緑」という名が何故付けられたのだろう。この橋を実際に見にいくことにした。
 末広町にある緑橋の入り口は、古びた鉄の扉で閉められており進入禁止となっていた。「コークス専用車出入口により、一般車の駐停車はご遠慮ください。東京ガス(株)鶴見工場」と書かれた錆びた看板がかかっている。東京ガスのホームページを見ると、橋の向こう側にある「鶴見事業所」に関する記事が載っていた。鶴見事業所は昭和5年から平成9年まで約67年間、東京ガスの主力工場として稼動していた。しかし平成になってからの調査で、石炭を主原料とした都市ガスやコークスの製造過程で生成される化学物質が土壌に漏洩していたことが判明したというのである。(周辺の海水への影響はないとのこと。)現在ではガスの主原料がクリーンな天然ガスに変わったため、同様の汚染物質は発生しないと書かれていた。
 昭和の高度成長期の時代、幾度となく利用されたこのであろうこの橋は、平成19年の現在、もう使われてはいないのかも知れない。ガスの原材料が環境に配慮して変わるとともに、「緑」と名のついたこの橋の主な役割も終わってしまったのだと、入り口の閉ざされた門が伝えているように思えた。

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2007年2月18日 (日)

東寺尾配水池

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 市営バスの「白幡」停留所で降り、松陰寺の前を過ぎて坂道を登ると、巨大な円盤が地面に埋められたような奇妙な建物が見えてきた。モスグリーンに塗装された半円形の屋根には継ぎ目が全く見当たらない。そののっぺりとした外観は不気味ですらある。これが「横浜市水道局工業用水道東寺尾配水池」である。道路向かいは子安ゴルフ場、後ろは東寺尾ふれあいの樹林となっており、時折ゴルフボールを打つ音とこの水道設備から響く低いモーター音だけが聞こえてくる。人気のない森の近くで、無機質な建造物を前に、その乾いた音をただ聞いていると、まるで寺か神社の境内にいるかのような不思議な感覚にとらわれた。

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2007年2月10日 (土)

【番外編】港北区ぶらり絵日記:亀甲山(かめのこうやま)

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 小机城址から約1km離れた亀甲山は、亀山ともいう。頂上が平坦で亀の甲の形に似ていることからこの名がついたようだ。15世紀、小机城址に立てこもる山内上杉氏の一族を攻めるため、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏家来の太田道灌が陣を構えたのがこの亀甲山である。鶴見川を挟んだ丘の上に、戦国武将たちが陣を構えて睨み合うというドラマチックな歴史が、この新横浜地区で繰り広げられていたとは大変感慨深い。しかし丁寧な案内板が設置された小机城址とは対照的に、この亀甲山では一切の遺構を見ることが出来なかった。丘の頂上では新しい企業団地を建設するための工事が行われており、なんとも無粋な光景である。道灌が小机城攻めの際に詠んだという歌碑などを設置すれば、対岸の小机城址の歴史にも一層の深みが加わると思えるのだが、残念だ。
(太田道灌の歌「小机は、先ず手習いの初めにて、いろはにほへと、ちりぢりとなる」小さな机は、字の練習を始めるときに使うもの。いろはの文字を書くように戦いも簡単に終わってしまう。小机城もすぐに落ちる、の意味)(写真左:亀甲山。写真右:亀甲山の麓から見える鶴見川対岸の小机城址)

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【番外編】港北区ぶらり絵日記:小机城址(こづくえじょうし)

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Photo_91  小机城址は、小高い丘の上に「空堀」(からぼり)が残されている中世の城跡である。竹林の中に作られた散策路を歩いてみると、地面には枯葉が降り積もりスポンジのように柔らかい。このままにしていれば翌年には新しい芽が出て、空堀もまた森の中に埋もれていってしまうことだろう。今日まで何百年も前に作られた遺構が保存されているのは、何年にもわたる土地所有者の方々の努力の賜物である。
 現地の案内板には、小机城がおそらく12世紀以降に造られたものであること、当時この地域の有力者である上杉氏と関わりのあった城であろうと解説されていた。1489年、山内上杉家の家督争いにより、鶴見川を挟んで対岸にある亀甲山(かめのこうやま)に帯陣した大田道灌と戦い、落城。その後関東の支配者となった小田原北条家の領地となるが、その北条家が滅びた後、徳川家の家臣として知行を与えられた城主が退出してしまうと、小机城は廃城となりその歴史を閉じたと結ばれていた。 (絵:溝のように掘られた空堀。深さは10メートル前後に及ぶ。)

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2007年2月 5日 (月)

【番外編】港北区ぶらり絵日記:亀甲橋(かめのこうはし)

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  港北区の小机町と新羽町を結ぶ亀甲橋(かめのこうはし)が最初に架けられたのは大正時代である。230クラブ出版の「新羽史」には、土橋の頃の亀甲橋が洪水によって流されてしまった写真が載っており、増水の最中に行われる消防団の復旧作業は命がけものであったと解説に書かれている。
 現在この地域では「新横浜ゆめオアシス」と名づけられた多目的遊水地が建設中である。完成すれば戦後最大規模の雨量でも安全に流下させることができるという。平成14年に架け替えられた新しい亀甲橋を歩いてみると、真下に流れる鶴見川は大人しいせせらぎを見せていた。最近では築堤が進められたことにより、浸水被害などのニュースもほとんど聞かれない。広大な遊水地は何とも大げさであるように思えたが、しかし幾たびもの洪水によって人命と財産が失われたこの地域の歴史を学んだ後は、目の前の公共工事もまた必然のものかと考え直した。
(労災病院から橋を望む。溜池のある遊水地、その先に鶴見川の土手と川がある。すべてを跨ぐ亀甲橋は全長400m前後もある。橋の右側の丘が亀甲山である。)

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