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2007年4月30日 (月)

三角形の土地(市場富士見町)

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Photo_128  市場や潮田など近代になってから直線で区分けされた地域には、その隙間を埋めるような三角形の土地が出現することがある。市場公園もこうした土地の一つで、見事な三角形を成しているが、公園の対角にある土地も大変印象的である。一辺20m前後の正三角に近い土地は石垣で区分けされ、盛り土した敷地の中にチェスの駒のように5本の木が植えられているのだ。利用するのが難しい尖った角地は、昔から地蔵が祀られるなど特殊な空間として使われることが多かったのだよと大学で教授から教えられたことがあるが、正にその説明に当てはまるような一種独特の空間であった。
(市場富士見町の三角形の土地。木登りして遊べる雰囲気ではない。国道15号を挟んだ向かい側の市場大和町にも全く同じ形の土地があるが、こちらは樹木だけでなく花も植えられており、明るく開放的であった。)

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2007年4月22日 (日)

「法隆寺前」

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 鶴見駅から41系統のバスに乗ると、港北区に入る手前で「法隆寺前」というバス停を目にすることが出来る。その先の交差点にも「法隆寺」の名がある。あの有名な法隆寺と同じ名前の寺院があるのだろうか。興味が沸いて探してみると、交差点の崖下が連福山法隆寺の境内であった。住所は港北区菊名4丁目である。山門前には堂々たるイチョウの木があり、意外にも広い境内は整然として落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 早速港北図書館に行き『港北区史』を開いたが、しかし何故かこの寺の記述を見つけることが出来ない。司書の方に教えていただき、散策用の小冊子の中にようやくその名を見つけたが、『横浜市史稿』や『新編武蔵風土記稿』にも載っているこの寺院の扱いは、港北区の資料の中では必ずしも大きいものではなさそうだ。
(絵:法隆寺本堂。寺の創立は不詳だが、日蓮宗としての開山は16世紀である。「安房国小湊誕生寺ノ末」とあり、奈良の法隆寺との関係は無いようだ。)

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2007年4月17日 (火)

寺尾隧道(てらおずいどう)

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 JR横浜線の菊名駅と大口駅の間にあるトンネルには「寺尾隧道(てらおずいどう)」という名がついており、ちょうどこの地点が鶴見区、港北区、神奈川区の3つの区の境になっている。
 港北区側の坂道からこのトンネルを描いていると、中年の男性が話しかけてきた。トンネルの近くの森には、今でも狸が出るというのだ。この坂の下のゴミ捨て場でも時折ゴミを漁っているらしい。若干お酒の匂いがする息でそう話し終えると、男性は上機嫌で何やら言いながら、そのまま坂を下っていった。

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2007年4月10日 (火)

森永橋の桜

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2_8 鶴見区80周年記念として作成された「鶴見川桜マップ」を片手に、下流の臨港鶴見橋から上流に向かって歩いていった。頑強に作られた堤防沿いの道は、歩きやすく整備されている。決して悪い道ではないが、桜の木々が楽しめる美しい光景が続く道とも言いがたい。部分ごとに堤防整備をしているためか、遊歩道の作り方や植物の配置に今ひとつ一貫性がないのだ。桜マップがなければ桜の見所が分からないというのも考え物である。
(絵:森永橋を背景に、その袂に立つ桜を描いてみた。花曇という言葉の似合う天気であった。)

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2007年4月 6日 (金)

花月園の桜

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 花月園競輪場の桜は、実に見事である。来客用の駐車場をぐるりと囲むように植えられた桜の木々は、鑑賞しなければもったいないほど豊かな量感がある。天気のよい日曜日、競輪の開催されていない花月園競輪場まで歩いていった。すると駐車場は、私と同じように花見を楽しもうとする大勢の家族連れで賑わっていた。サッカーやボール投げをする子供達の姿も見える。駐車場の入り口にチェーンのかけられる休園日だからこそ、このような賑やかな光景が見られるというのはなんとも皮肉なことだ。かつて遊園地であった花月園の跡地に必要なのは、果たして競輪であるのかと考えされられる光景でもあった。

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2007年4月 1日 (日)

【一周年ご挨拶】

018  「鶴見区ぶらり絵日記」も本日4月1日でちょうど一周年となりました。累計アクセス数は19時時点で4605件です。ご覧いただいた方々に、心よりお礼申し上げます。
 一年を通してブログを続けるということは、自分が思った以上に労力を要する作業でした。それでもここまで続けてこられたのは、鶴見の魅力にとりつかれたからと言う以外にありません。
 鶴見の最大の魅力は、「未開発な土地」であったということです。入り組んだ谷戸と鶴見川に挟まれた生産性の低い土地は有力な武将などを輩出できず、江戸時代もまた天領と旗本領とに細切れに支配されていたため、注目すべき華々しい歴史は存在しません。農民と農民の間に起こる争いと和解、自然災害との戦い、権力への服従と反発等、庶民の生活がそのまま鶴見の歴史を形成しています。その庶民が、明治以降浅野総一郎らによって進められた工業化の波にのみ込まれながらも、その生活を今日まで連綿と続けています。地元の郷土史家が残した書物を丁寧に読んでいると、まさに「民衆」の本質を知ることができたかのような面白さがあります。
 これからも自分自身楽しみながら、鶴見の面白さを紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお付き合いください。
 (写真:スケッチブックも3冊目になりました。真夏日のスケッチをどう乗り切るかが今年も頭の痛い課題になりそうです。)

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