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2007年5月24日 (木)

佃野公園(つくのこうえん)

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 昭和54年、鶴見川氾濫対策のため、JR架橋下の湾曲部を直線化する大工事が行われた。川は元宮側に寄り、佃野町側には新しい三日月形の土地が生まれた。この土地の一部が現在の佃野公園(つくのこうえん)である。
 雨上がりの夕方、公園に出向くと、雨水と海水の入り混じった濁った水面が驚くほど迫って来ていた。あと15センチも水位が上がればそのまま浸水してくるだろう。コンクリートで固められた広場は、いかだフェスティバルや花火大会に利用されているが、そのまま遊水池としての役目も担っているかのようだ。
(地図左:昭和14年の湾曲部。地図右:現在の川筋。かつての湾曲の後が細い道となっている。)

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2007年5月19日 (土)

花月園弁天堂の史跡

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 花月園競輪場の駐車場の奥、競輪組合の建物の横に小さなグラウンドがある。このグラウンドはかつて「花月園」の「スワン池」であった場所だ。ボート遊びの出来るスワン池の周りには、当時の著名な画家達の絵馬が奉納された「絵馬堂」の回廊が巡らされ、その典雅な風景を見下ろすように石造りの高台の上には「弁天堂」が建てられていた。70年前に閉鎖された遊園地の跡が残されている数少ない箇所だ。
 競輪場の開催日ともなると、駐車場に入りきれない車はこのグラウンドに誘導されているようだが、石造りの高台だけは鶴見の遺産として保存してほしいものだと思った。
(絵:雑木林に埋もれる史跡。脇の階段は今でも上ることが出来るが、弁天堂が建てられていた跡地には草木が生い茂り、眺めを楽しむことは出来ない。)

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2007年5月13日 (日)

「花月園」

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 新橋の料亭「花月」の経営者だった平岡広高が鶴見の台地に作った児童遊園地の名を「花月園」といった。その開園の経緯が『花月園弁天堂絵馬集』の前書きに記されている。

「園主欧米を漫遊し、たまたま仏国パリの郊外に特設された児童のみの遊園地に散策し、その設備一つとして児童本位のものならざるはなく、視るもの聴くもの食するもの皆留意到らざるなきに、痛く驚嘆させられたのであります。更に同園には救護所をも常設し、医師看護婦等を置きて万一に備え、かつ掃除その他衛生施設が行き届いて紙屑一つ散乱せざるを見、しかも我が日本にはこの種の遊園地絶えて無きを顧みて、転た羨望に堪えませんでした。」

 大正3年花月園は開園した。当時最先端の大遊園地は隆盛を誇り、最盛期の来園者は年間100万人、敷地は7万坪にまで拡大したが、平岡の理想はさらに高みにあった。

「理想の拡張、即ち十五、六万坪にして国有公園を凌駕する如きものとなすにはまだ尚四五百万円を要するのです。どうかこの老人の宿願を遂げさせられんことを江湖識者に懇願いたす次第であります。」

 子供の健全な育成を願いその王国の完成を目指した花月園は、その後不況の影響などにより、昭和8年多額の借財のため平岡の経営より離れ、昭和14年に閉鎖となった。今ではその名前のみが跡地に作られた競輪場に受け継がれている。
(写真左:花月園競輪場の入り口に立つ案内板。写真右:現在の京急花月園前駅。「花月園前駅」はもともと工事費用を花月園側が負担する形で大正4年に作られた駅である。)

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2007年5月 5日 (土)

【番外編】京都ぶらり絵日記:東福寺

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Photo_131  京都の東福寺は、13世紀半ば摂政九条道家が建立した臨済宗東福寺派の大本山である。敷地面積は20万平米以上、大伽藍を有し、国宝、重要文化財等を数多く所蔵する京都でも屈指の大寺院である。
 我が鶴見区にも同じ名の寺院があるが、残念ながら規模がまるで違う。実は建立自体は鶴見の東福寺の方が早い。しかし大正時代、花月園(遊園地)に敷地の大半を提供してしまったことにより、今では参詣者も少ない街中の小さな寺へと変貌してしまった。
(絵:東福寺開山の聖一国師が祀られている開山堂(かいざんどう)。瓦屋根から楼閣が突き出たような形である。お堂の前は砂の文様を市松に描いた普門院庭園となっている。)

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