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2007年6月27日 (水)

岸谷2丁目公園

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 岸谷2丁目公園は、生麦中学校へ続く急階段のある「上の部分」と、最も広い「真ん中の部分」、そして岸谷小学校に近い「下の部分」の、3つに別れている。それぞれは市道で隔てられた別の区画に入っているが、そのすべてを合わせて「岸谷2丁目公園」と名付けてしまっているのが面白い。おそらく地元の人達の間では、それぞれの区画が認識できるような通り名があるのかも知れない。
 絵は「上の部分」。階段の両脇には、ベンチのある広場とアジサイの花の咲く小さなスペースがそれぞれあるが、敷地が狭すぎるのかこの部分は子供達に人気は無いようだ。遊具のある「真ん中の部分」で遊ぶ子供達の声が階段の下の方から聞こえてきた。

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2007年6月20日 (水)

江ヶ崎跨線橋

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 鶴見区江ヶ崎と川崎市幸区小倉をつなぐ「江ヶ崎跨線橋道路橋」は、昭和4年、新鶴見操車場の上に架けられた鉄橋である。神奈川の橋100選にも選ばれているが、錆びのついた外観からも分かるとおり老朽化が激しく、今年中に架け替え工事が始まるようだ。すでに廃止された操作場は、現在更地となっている。人の姿の見えない広大な敷地に群生したハルジオンの白く小さな花が、無数の泡のように見えた。

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2007年6月10日 (日)

北寺尾「町のはらっぱ」

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20070526151543  「町のはらっぱ」と名前のついた土地を北寺尾の地図に見つけ、不思議に思った。「はらっぱ」とは本来地図に載らないような空地だと思っていたからだ。実際に行ってみると、確かにそこは空地であった。ゆるい傾斜があるむき出しの地面に、膝まで伸びた雑草がそよいでいる。しかし周囲をぐるりとフェンスで囲われ、2つの狭い入り口以外は侵入出来ないようになっている。入り口には町内会の注意書きの看板がかかっている。要するに「はらっぱ」風に作られた管理された公園であった。
 少し寂しい気もしたが、ベンチもない広場に直接腰を下ろすと、だだっぴろい空間を存分に楽しむことができた。
  (写真:「町のはらっぱ」の入り口に至る道。街路樹が撤去されずに残っている。)

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2007年6月 5日 (火)

キリン横浜ビアビレッジ(キリンビール横浜工場)

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Photo_150  生麦にあるキリンビール横浜工場の土地はもともと広大な貯木場であった。しかし中区に貯木場が整備されるとともにその機能を失い、埋め立てられていった。そしてその跡地に関東大震災で壊滅的な打撃をうけたキリンビール山手工場を移転させたのである。岸谷や子安台の土砂を使って貯木場を埋め立てる工事は当時大変なものであったようだ。しかし大正15年の開設以来、80年以上たった現在でもこの横浜工場はキリンビールの主力工場として稼動し続けている。
 なお昭和の初めまで存在した鶴見川沿いのカスケードビール(寿屋・現在のサントリー)を廃業に追い込んだのは、このキリンビールの生麦進出も一因であったらしい。閉鎖された後、カスケードビール工場の従業員の多くはキリンビールに雇用されたということだ。
(絵:工場の敷地の一部はキリンビアビレッジとして市民に解放されている。公園の木々の向こうに巨大な貯蔵タンクが見える。写真:ビールの講習会や工場見学も行われている。要予約。)

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2007年6月 1日 (金)

朝陽山八幡宮(ちょうようざんはちまんぐう)

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  花月園入り口の右手の小山に、生麦北町の氏神として祭られている八幡神社がある。創建は不明だが、元禄年間の文献にはすでに記載があるようだ。かつては山頂から生麦浦の眺望を楽しむことが出来、また海上にいた猟師達からも帰帆のよい目印とされていたらしい。
 しかし現在は、埋め立てられ遠くに後退した海上からはもちろん、すぐ傍のバス通りからも社殿は見えない。見えるのは鬱蒼とした木々の塊だけである。2年ほど前は古い石段を登り頂上に行くことが出来たのだが、現在では入り口の鉄門扉で遮られ中に入ることすら出来なくなっている。
 この神社はこのまま森の中に埋もれてしまうかのようだ。
(絵:手前の鳥居は江戸時代の制作だが、石組みがずれており、通り抜けには注意が必要である。左の道は鶴見および東寺尾東台へと続いている)

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