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曹洞宗大本山総持寺の山門脇、三松閣前にある小池は、かつて「成願寺三ッ池」と呼ばれた溜池の一つである。もとは三段に分かれていたが、その内の2つが埋め立てられ、現在まで存在している最後の池には6階建ての建造物を支える巨大な鉄筋が打ち込まれている。それなりに手入れはされているようだが、水量の少なくなった姿は風光明媚とは表現し難い。しかしこの小池こそ、かつては生麦北部耕地を潤していた農業の生命線であった。(写真左:総持寺は明治40年、石川県より鶴見の成願寺境内に移転してきた。三松閣の裏手の森に旧成願寺跡地の碑が残されているが、訪れる人は少ない。地図右:明治14年の地図。溜池が三つ描かれている。)
投稿者 tsurucoco 時刻 22時46分 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク
「池」の意味って、昔と今ではすごく違っていそう。 水道のない時代だったら、私も「池のそばに住みたい」と思ったと思う。 平安時代の寝殿造りとか、敷地の中に人工的な池を つくるというのも、「池」が何か(「ゆとり」とか)の象徴だとしたら、 納得できる。 スケッチを見ると、向こうに現代風?の建物があるように思う。 都市景観の調和って難しいね。
投稿 stonefield | 2007年7月 9日 (月) 06時12分
そうだね。この池が大昔、人工的に作られたかどうかは 不明ですが、お寺が管理していたということは、お寺の権威を 象徴するものであったかも知れませんね。
スケッチの向こうの建物は、総持寺敷地内にあります。 総持寺は、鶴見の「品格」を語る上で大切な存在ですが 私が好きな「鄙びた」雰囲気はあまりないです。少し残念かな。
投稿 tsurucoco | 2007年7月 9日 (月) 23時19分
おひさしぶりです(^^) 幼少期、広場でよく遊んだ私。 すぐそばにりっぱなお屋敷がありました。 塀もりっぱで、木が生い茂っていました。 広場ではよく野球をしました。 せまい広場なので、よく、そのお屋敷にボールが入ってしまいます。 ♪ピンポ~ン♪ 「ボールとらせてください!!」 奥様登場。 「どうぞ・・・」と優しく言ってくれます。 ちょっとの間、そのお屋敷の中に入ることができて、得をした気分。 そんなことが重なっていると、あるとき、奥様が、お庭の奥まで入ってらっしゃい、と誘ってくださったのです。 何を話したのかよく覚えてません。 とにかく、社宅である我が家のすぐお隣とは思えない、全く違う世界。緑の中の日本家屋。 緑がたくさんすぎて、あまり日のあたらない濡れ縁。 そして、そこには池がありました。 奥様は、静かな、本当に静かな人でした。 何も話すことがなくても、私はその人のそばにいるのが好きでした。 あるとき、奥様は私に、 「風船で飛ばされてきたの。きっと、あなたと同じ年くらいじゃない?」 と割れた風船をくれました。 そこには、「文通しましょう!! ○○小学校6年○組一同」 と書かれたメモに、花の種がついていました。 しばらく、その小学校のお友達と文通しました。
小学校を卒業するとすぐ、引越しすることになり、 奥様とはろくにお別れのあいさつもできないまま、時がたってしまいました。 十年くらいたった頃、母から、その奥様が亡くなられた、と聞きました。 母は濁しましたが、どうやら、病気や事故による死ではなかったみたい。 私は時々、緑いっぱいの庭、池、そして、その庭や池と同じように 静かだった奥様のことを思い出します・・・。
なんだか、作り話みたいでしょ・・・。 でも、本当に私の思い出なのよ~っ・・・。
投稿 ちゃり | 2007年7月27日 (金) 09時37分
お久しぶりです。 すばらしい思い出ね。 まさに旧家と言われるお屋敷だったのでしょうね。 敷地内に池があるとは・・・。 短編小説のような世界だね。素敵だわー。
鶴見にも、旧家と思われる家があり 明細地図をみてはその敷地の広さにうっとりしています。 でも、実際に近くに行ってみると、まるで森のように鬱蒼と しており、中にいる人たちは必ずしも住みやすいわけでは ないんじゃないかなー、と思ったりもしますが。
投稿 tsurucoco | 2007年7月27日 (金) 21時25分
岸谷「根の道」に投稿したのですが、なぜかコメントとしてカウントされません。読めます?
投稿 stonefield | 2007年7月30日 (月) 06時28分
読めます。コメントありがとう。 私は確かに「道」の情景には大変心惹かれます。 鶴見でも平安町や潮田など、明治になってから 開発した地域は、きれいな碁盤の目になっています。 それはそれで地域の歴史を感じますが・・・ でもやっぱり好きなのは、この先どこにつづくのか わからないような入り組んだ細い道かな。 入り込んだ先が、実に意外な場所に通じていたりすると 感慨もひとしおです。
投稿 tsurucoco | 2007年7月30日 (月) 20時56分
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コメント
「池」の意味って、昔と今ではすごく違っていそう。
水道のない時代だったら、私も「池のそばに住みたい」と思ったと思う。
平安時代の寝殿造りとか、敷地の中に人工的な池を
つくるというのも、「池」が何か(「ゆとり」とか)の象徴だとしたら、
納得できる。
スケッチを見ると、向こうに現代風?の建物があるように思う。
都市景観の調和って難しいね。
投稿 stonefield | 2007年7月 9日 (月) 06時12分
そうだね。この池が大昔、人工的に作られたかどうかは
不明ですが、お寺が管理していたということは、お寺の権威を
象徴するものであったかも知れませんね。
スケッチの向こうの建物は、総持寺敷地内にあります。
総持寺は、鶴見の「品格」を語る上で大切な存在ですが
私が好きな「鄙びた」雰囲気はあまりないです。少し残念かな。
投稿 tsurucoco | 2007年7月 9日 (月) 23時19分
おひさしぶりです(^^)
幼少期、広場でよく遊んだ私。
すぐそばにりっぱなお屋敷がありました。
塀もりっぱで、木が生い茂っていました。
広場ではよく野球をしました。
せまい広場なので、よく、そのお屋敷にボールが入ってしまいます。
♪ピンポ~ン♪
「ボールとらせてください!!」
奥様登場。
「どうぞ・・・」と優しく言ってくれます。
ちょっとの間、そのお屋敷の中に入ることができて、得をした気分。
そんなことが重なっていると、あるとき、奥様が、お庭の奥まで入ってらっしゃい、と誘ってくださったのです。
何を話したのかよく覚えてません。
とにかく、社宅である我が家のすぐお隣とは思えない、全く違う世界。緑の中の日本家屋。
緑がたくさんすぎて、あまり日のあたらない濡れ縁。
そして、そこには池がありました。
奥様は、静かな、本当に静かな人でした。
何も話すことがなくても、私はその人のそばにいるのが好きでした。
あるとき、奥様は私に、
「風船で飛ばされてきたの。きっと、あなたと同じ年くらいじゃない?」
と割れた風船をくれました。
そこには、「文通しましょう!! ○○小学校6年○組一同」
と書かれたメモに、花の種がついていました。
しばらく、その小学校のお友達と文通しました。
小学校を卒業するとすぐ、引越しすることになり、
奥様とはろくにお別れのあいさつもできないまま、時がたってしまいました。
十年くらいたった頃、母から、その奥様が亡くなられた、と聞きました。
母は濁しましたが、どうやら、病気や事故による死ではなかったみたい。
私は時々、緑いっぱいの庭、池、そして、その庭や池と同じように
静かだった奥様のことを思い出します・・・。
なんだか、作り話みたいでしょ・・・。
でも、本当に私の思い出なのよ~っ・・・。
投稿 ちゃり | 2007年7月27日 (金) 09時37分
お久しぶりです。
すばらしい思い出ね。
まさに旧家と言われるお屋敷だったのでしょうね。
敷地内に池があるとは・・・。
短編小説のような世界だね。素敵だわー。
鶴見にも、旧家と思われる家があり
明細地図をみてはその敷地の広さにうっとりしています。
でも、実際に近くに行ってみると、まるで森のように鬱蒼と
しており、中にいる人たちは必ずしも住みやすいわけでは
ないんじゃないかなー、と思ったりもしますが。
投稿 tsurucoco | 2007年7月27日 (金) 21時25分
岸谷「根の道」に投稿したのですが、なぜかコメントとしてカウントされません。読めます?
投稿 stonefield | 2007年7月30日 (月) 06時28分
読めます。コメントありがとう。
私は確かに「道」の情景には大変心惹かれます。
鶴見でも平安町や潮田など、明治になってから
開発した地域は、きれいな碁盤の目になっています。
それはそれで地域の歴史を感じますが・・・
でもやっぱり好きなのは、この先どこにつづくのか
わからないような入り組んだ細い道かな。
入り込んだ先が、実に意外な場所に通じていたりすると
感慨もひとしおです。
投稿 tsurucoco | 2007年7月30日 (月) 20時56分